「Portrait of Identity」の定義
「Portrait of Identity」は、自分自身を固定的な性格や肩書で説明するのではなく、経験、価値観、行動、強み、弱み、役割、環境との関係を手掛かりに、「自分とは何者なのか」を継続的に探究するカテゴリーである。
Portraitという言葉には、完成した証明写真ではなく、ある時点の自分を描く肖像という意味を持たせる。
人は変わる。
環境によって振る舞いも変わる。経験が増えれば過去の自分についての解釈も変わる。
だから、自己理解を「私はこういう人間だ」という最終回答にはしない。
現在までに得られた材料から、一度自分の輪郭を描いてみる。そして経験が増えれば描き直す。
その繰り返しそのものを自己理解として扱う。
「Portrait of Identity」で探究すること
自分の経験を材料にする。
何を選んできたのか。何を嫌だと感じたのか。どの場面では力を発揮でき、どの場面ではうまくいかなかったのか。何に時間を使ってきたのか。繰り返し現れる価値観は何なのか。
必要に応じて、自己分析ツールや心理尺度なども材料にはする。
ただし、それらを答えにはしない。
診断結果と実際の行動が一致するのか。環境を変えたらどうだったのか。数年前の自分と現在では何が変わったのか。他者からの評価と自分の認識に違いはあるのか。
そうやって、自己分析と実際の人生を往復させる。
自己理解とは、自分にラベルを貼ることではなく、自分が判断するときに使える材料を増やすことだと考える。
過去の記録も、現在の自分を縛るためではなく、「どのように変化してきたか」を見るために使う。
「Portrait of Identity」で扱わないこと
性格診断や適職診断の結果から、「あなたはこういう人だ」と断定するカテゴリーにはしない。
自分自身についても同じである。
診断、他者からの評価、一度の成功、一度の失敗を、自分という存在全体の説明には使わない。
また、自己理解を自己肯定のためだけに使わない。
見たくない失敗や矛盾、弱点も材料にする。ただし、自分を否定するためでもない。
「良い自分」を探すのではなく、「実際の自分について何が分かっていて、何がまだ分からないのか」を整理する。
自己理解は完成させるものではなく、更新し続ける仮説として扱う。
「Portrait of Identity」と構造的フロネーシス
構造的フロネーシスで判断する主体は、自分自身である。
だから、自分が何を大切にしているのか、何に影響されやすいのか、どのような経験をしてきたのかを知らなければ、判断の基準そのものが曖昧になる。
一方、自己理解だけを深めても、判断や行動につながらなければ内省だけで閉じてしまう。
Portrait of Identityで自分を知り、他のカテゴリーで人間・知識・社会の前提を探究し、その材料を構造的フロネーシスへ戻す。
つまり、このカテゴリーは構造的フロネーシスに「判断する自分自身についての材料」を供給する領域である。

