自己紹介

初版:2026年2月6日最終更新:2026年10月11日
AKITOYO / 山田 晃豊

PROFILE|自己紹介

AKITOYO

山田 晃豊 / やまだ あきとよ

構造設計クリエイター

正解より、納得を。

なぜ、このサイトを
つくったのか

私は35歳のときに読書を始め、心理学、行動経済学、自己啓発、アイデアの発想など、さまざまな考え方を学んできました。
『7つの習慣』を仕事で実践したり、『メモの魔力』や『具体と抽象』を通じて、経験を整理し、別の場面に活かす見方を学んだりしてきました。

本で得た知識と、現場や経営企画での経験をつなげていくうちに、目の前の出来事だけでなく、その奥にある構造を俯瞰するようになりました。
ここに置いている七つのレンズは、そうした読書と実践から組み立てたものです。

akitoyo.jpは、自分のように生きづらさを感じ、考え続けている人が、今いる場所を少し離れて見直すためのサイトです。
読んでくださった方が、ご自身の人生と照らし合わせ、気づきや次の一手を一つでも持ち帰ってもらえたらと思っています。

POSITION

ここで扱う考え方は、学術的に確立された理論を名乗るものではありません。
私の経験や読書を通じて、現実の問いを考えるために整理しているものです。

現在

電気通信業界で20年、現場から管理職・経営企画まで経験し、2024年に独立。2026年より構造設計クリエイターとして個人で再出発。

構造で生きづらさを読み解くメタ視点ブログを運営。切り分け思考と言語化を軸に、思考整理・Web制作・生成AI活用を発信している。

考え方

Definition / 定義

構造設計クリエイター

世界は構造でできている。本質はパターンだ。時代が変わっても、装飾が変わるだけで定数は変わらない。私にはその定数が、比較的よく見える。だから見抜き、変数として操作し、設計する。それが構造設計クリエイターという、私の定義だ。

Purpose / 目的

誠実であることを選び続ける

私は、誠実であることを選び続けるために思考し、表現する。

Vision / 展望

納得して選べる世界

人が、感情や正解に支配されず、自分で納得して選べる世界を示し続ける。

経験

通信インフラ領域で20年、施工管理・試験業務・業務改善・経営企画に関わってきました。現場の進行管理、数字の整理、業務フローの改善、経営判断に必要な情報設計など、複雑なものを整理し、使える形に変える仕事を続けてきました。

Career

20年

通信事業での実務経験

施工管理から試験業務、業務改善、経営企画まで。現場と全体の両方を見てきました。

Improvement

184時間

Excelでの施工管理の業務改善で生み出した時間(概算)

業務フローとExcel管理を見直し、約30日かかっていた作業を約7日で終えられるようにしました。短くなった約23日分を1日8時間で換算した概算です。回線切替の実績とは別の成果です。

Project

4,500回線

回線切替工事を無事故で完遂

大規模な電話回線の切替工事で、施工管理とマネジメントを担い、無事故で終えました。

扱ってきた領域

  • 施工管理
  • 試験業務
  • 業務改善・Excel管理
  • 経営企画・情報設計
  • WordPress構築・運用
  • 生成AI活用

歩み

音楽、通信、仕組みづくり。遠回りに見えた経験を、章ごとに読み進められるようにまとめています。

Prologue

「正解」よりも、納得を求めてきた

音楽や仕事を通じて、私は「正解」よりも「納得」を探してきました。ここでは、遠回りに見えた選択と、その中で構造を考えるようになった過程を記します。

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私の人生は、一見すると、回り道ばかりのように見えるかもしれません。

学生時代、私は音楽にすべてを賭けました。

けれど、現実の壁にぶつかり、夢を手放す決断をします。

その後、家業に入り、通信業界でキャリアを積みながらも、自分の本音を押し殺し、「役に立つ自分」を演じ続けました。

気づけば私は、誰かの期待に応えることに慣れ、自分の本当の気持ちを見失いそうになっていたのです。

だけど――ふと立ち止まったとき、胸の奥で囁く声がありました。

「これは本当に、自分の人生なのか?」
「このまま終わって、後悔しないのか?」

振り返れば、私がずっと求めていたのは、誰かに評価されることではありませんでした。

欲しかったのは、「正解」ではなく――「納得」でした。

たとえ遠回りに見えたとしても、たとえ失敗や挫折の繰り返しだったとしても、自分の足で選び、自分の手で築いた道ならば、私は胸を張って「これが、私の人生だ」と言える。

これは、そんな私の“納得”を取り戻すまでの物語です。

そして、これからもつづく「自分の物語」の、最初の章です。

Chapter 01

音楽にすべてを賭けた時代

学生時代、音楽にすべてを賭け、作曲・演奏・ライブ・届け方まで自分で考えました。創作だけでは越えられない現実にも向き合い、次の道へ進みます。

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音楽活動をしていた頃の山田晃豊
音楽活動をしていた頃の記録

音楽との出会いとプロデューサー志向

15歳のとき、私は初めてギターを手にしました。

きっかけは、同級生の影響で聴き始めた音楽でした。当時よく聴いていたのは、X(現在のX JAPAN)やTMネットワークといったアーティストたちです。

とりわけ、作る・弾く・演出するというすべての要素を担う“プロデューサー的な存在”に強く惹かれていました。

ただ演奏するのではなく、音楽そのものを設計する。そんな立ち位置に、心からの憧れを抱いていたのだと思います。

世代的にはGLAYが流行していたこともあり、私の作曲スタイルにはその影響が色濃く残っています。自分では意識していないのですが、楽曲を聴いた人からは「ヴィジュアル系っぽいね」と言われることが多く、当時の音楽が無意識のうちに自分の中に根付いていたのだと、今になって感じます。

作曲家であり、演奏者であり、プロデューサーでもある。音楽という一つの世界を、最初から最後まで自分の手で構築できるような存在になりたい――その想いが、音楽との出会いとともに私の中に芽生えた最初の衝動だったように思います。

ベース転向と、ライブ活動の原体験

高校生の頃、私はLUNA SEAやX JAPAN、黒夢といったヴィジュアル系バンドに深く傾倒していました。

中でも、LUNA SEAの「ROSIER」のミュージックビデオを初めて観たときの衝撃は、今でも鮮明に覚えています。

当時、周囲の仲間たちはこぞってギターやボーカルをやりたがっていましたが、私はその流れとは少し距離を置くような感覚で、自然とベースに転向することにしました。どこかで「違う立ち位置を選びたい」という気持ちがあったのかもしれません。

初ライブでは、ベースとギターの両方でステージに立ちました。コピー演奏にはあまり興味が湧かず、私は最初からオリジナルの曲を作ることに夢中でした。

当時は、まだMTR(マルチトラックレコーダー)という機材を使っており、録音はカセットテープという時代。音をトラックごとに重ねて録音できるその仕組みに、私はすぐ馴染むことができました。

思えば、幼少期にそろばんや数字、ゲームといった“構造を内側で組み立てる”ことに親しんでいた私にとって、音楽制作という行為も自然に受け入れられるものだったのかもしれません。

楽曲づくりのコツは、小さい頃から鍵盤ハーモニカで主旋律を耳でなぞっていたことにあったと思います。当時はそれを「特技」としか思っていませんでしたが、今になってみれば、私は相対音感をすでに身につけていたのです。

自分の気持ちを言葉にするのが苦手だった私は、作詞を通して“言えなかった想い”を音楽に乗せるようになりました。音楽は私にとって、初めて手にした「表現するための場所」でした。

自分だけの音楽を届けたかった――孤独な創作とその限界

もともと私は、少し引きこもりがちな性格だったこともあり、創作することには自然と馴染んでいました。

「MEMORY」というオリジナル曲を制作し、1999年に作詞・作曲、2003年にレコーディングを経験しました。

『MEMORY』/AKITOYO

その後、バーへ営業をかけ、弾き語りライブを開催させていただくようになります。少しずつですが人前で表現する場が増えていき、音楽を通じて人との交流にも慣れていった時期でした。

弾き語りの活動を経て、自身のバンドを立ち上げることになります。作詞・作曲をはじめ、ライブハウスへの営業やポスター・チラシのデザイン、さらにはバンドのホームページ制作まで、ほとんどすべてを一人で担っていました。

週に4日はライブハウスに通い、他のバンドの演奏を研究しながら対バンのセッティングやイベントの企画も行っていました。会社員として働く傍ら、ライブ活動を続ける生活が当たり前になっていた時期です。

音楽でプロを目指していた私ですが、現実はそう甘くありませんでした。楽曲のクオリティがいかに高くても、集客が伴わなければ活動は成り立たない――そんな当たり前のことに、ようやく気づかされるようになりました。

集客の困難さやジャンル・世界観による市場性の壁など、音楽の世界で求められるのは単なる創造力だけではなく、むしろ“届ける力”の方が重要であるという現実。今になって思えば、それこそがマーケティングの視点だったのです。

音楽から社会へ、“死”のような選択

音楽を手放すことは、自分の一部を失うような感覚でした。

けれど、それでも私は「社会で生きる」という現実を受け入れなければならないという、苦渋の決断を下しました。

それでも、私は自分の意思で音楽を続け、最後まであきらめませんでした。けれど現実は、夢を貫くだけでは届かない壁があることを私に突きつけました。

音楽の道を閉じた私は、勤めていた会社も辞め、職業訓練に通ってExcelや情報処理の力を身につけました。そして最終的に、通信会社に入社することを選びます。

あれほど拒んでいた道を、静かに受け入れたあの日。それは、私にとって一つの終わりであり、同時に“人生の第二章”の始まりでもありました。

Chapter 02

社会に適応しようとした会社員時代

音楽を離れた後、Excelと通信業の実務を通して、数字・正確さ・仕組みの設計を自分の力として磨きました。管理職としての経験と、現場と全体をつなぐ視点が現在の活動につながっています。

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Excelとの出会いと、数字の武器化

音楽の道を断念したタイミングで、それまで勤めていた会社も退職することになります。

退職後、私は職業訓練に通うことを選びます。そこで初めて出会ったのが、Excelでした。

Excelと情報処理技能検定に関する記録画像
Excelと情報処理技能検定に関する記録

私は情報処理能力技能検定(表計算)の初段と1級を同時に取得し、Excelに対して強い手応えを感じました。当時はiMacを使っていたため、Mac版のExcelをわざわざ購入し、環境を整えてまで学習を続けました。

もともと簿記や販売士の資格も同時に取得するカリキュラムでしたが、私はそのふたつを捨て、情報処理の学習にすべてを注ぎ込みました。中途半端にはしたくなかったのです。

結果的にこの判断が、のちの自分の仕事の武器となっていきます。このとき、私は初めて「自分にとって数字は敵ではない」と実感しました。

むしろ、数字や構造を扱うことこそが、自分の“強み”であると気づくきっかけになったのです。もしかすると、私が“構造の世界”と真に出会ったのは、このときだったのかもしれません。

“現場至上主義”と闘いながら見つけた役割

最終的に私は、通信事業の会社に入社することになりました。それは、自ら望んだ道というより、音楽を諦めた後に選ばざるを得なかった“現実的な選択”だったと思います。

通信業の現場には大きく分けて三つの役割があります。施工管理、実際の作業を行う現場技術者、そして通信回線の試験を担う人――私はその中で“試験を行う人”の道を選びました。

入社当初の私は、むしろ冷遇されていたように感じていました。この業界は“現場至上主義”であり、現場経験がなければ出世は難しいという空気がありました。

そのかわりに、唯一自分が尖らせることができる領域――Excelのスキル、管理業務、試験作業における正確性やこだわり――を徹底的に磨きました。そして、私は自分の存在価値を、「この人にしかできないこと」という形で築こうとしたのです。

ある大手企業の大規模な回線切替工事において、約4,500回線を無事故で完遂するプロジェクトのリーダーに任命されました。結果、プロジェクトは成功を収め、表彰をいただくまでになりました。

この成果によって、私は施工管理業務のサポート依頼を受けるようになり、信頼と実績を得るとともに、管理職への昇進という評価にもつながっていきました。

けれども、管理職になったからといって、人として偉くなったわけではありません。役職とは、責任を背負う“立ち位置”に過ぎず、そこに「人間性」が自動的についてくるわけではないということも、私はこのとき痛感します。

昇進と、“使われる仕組み”をつくるという視点

課長職に就いた頃、私は改めて「学ばなければならない」という強い気持ちを抱いていました。仕事と向き合う中で読書を習慣にし、その中でも特に『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー著)との出会いは、自分にとって大きな衝撃でした。

なかでも「第2の領域」の考え方――“緊急ではないが重要なこと”を優先するという時間のパラドックスの教えは、私の行動原理に深く刻まれました。

当時、施工管理業務ではExcelを用いることが日常でした。求められていたのは、“何を・どのように”処理すれば現場が楽になるか、という視点でした。

つまり、資格や知識ではなく、「構造を理解し、現場が本当に必要としている仕組みをつくる力」が求められていたのです。

そこで私は、業務の目的や流れを一からリサーチし、現場の声を丹念に拾いながら、仕組みを設計し直しました。試行錯誤を繰り返しながら、「どうすれば作業が減るのか」「どうすれば誰でも使えるのか」という視点を重ね続けた日々でした。

これはまさに、“プロダクトアウト”の思考から、“マーケットイン”の視点への転換だったのだと思います。作り手が良かれと思って用意したものを一度壊し、使い手の求めているものを改めて設計する。マーケティングに通じる、実践的な経験となりました。

責任感ゆえの帳尻合わせと、心の崩壊

親会社の施工管理業務には、約5年ほど関わることになりました。自社で現場幹部の辞職が相次ぎ、現場管理の空白が生まれたとき、私は現場を統括する立場に置かれました。

現場未経験であることを会社も理解したうえでの任命でした。それでも私は葛藤し、悩みました。しかし最終的には、「誰かの役に立てるなら」という想いから、そのポジションを引き受けました。

数千万円規模の請求管理、現場施工の段取り、トラブル対応、部下の面談、残業管理。それらすべてが決められた時間内に完遂されなければならず、私は現場を知らないまま、即断即決を求められる立場に立たされていました。

現場経験のあるもう一人の担当者が離れた後、私は孤立しました。休日も返上し、すべてを投げ打って帳尻を合わせようとしていた時期でした。

あの頃は、人生で最も辛い時期でした。自ら、部長代理というポジションからの降格を申し出て、すでに限界を迎えていた心と身体を守るために、2か月の休養を会社に願い出ました。

その間、転職も、起業も、何度も頭をよぎりました。けれど、当時の私にはそのための準備も、踏み出すだけの気力も残っていませんでした。

ストレングスファインダーで文脈を変える

結果として、私は同じ会社の経営企画部門への異動を希望し、受け入れられることになります。この頃までに、私は数えきれないほどの本を読み続けていました。心理学、行動経済学、自己啓発、アイデア発想。バラバラに見える知識のかけらを、なんとか自分の中に繋ぎとめようとしていたのだと思います。

そんななか、私はストレングスファインダーという自己診断ツールを思い出しました。実はそれ以前にすでに受けてはいたのですが、このとき初めて、私はその“結果”を自分の人生に活かそうと意識し始めたのです。

そこに記されていたのは、私自身が薄々感じていた資質でした。「戦略性」――それが、私の上位資質として明確に示されていたのです。

同時期、私はマーケティングに関する動画を目にしました。その中で語られる「届けることの設計」に、大きな衝撃を受けました。

「これだ。私に足りなかったのは、これだったんだ。」それは、音楽で伝えたかったもの、Excelで整えてきたもの、そして“うまく伝わらなかった”という悔しさすらも含め――すべてが「マーケティング」という言葉によって、一本の線につながっていく感覚でした。

ただ、長く通信業界に携わってきた私にとって、外の世界はあまりにも遠く思えました。それでも私は、異動先である経営企画という部署に、かすかな可能性を感じていました。

静かで、責められることもなく、誰かの顔色を伺う必要もない。けれど、そこには数字と構造があり、私がかつて大切にしてきた“考える力”を活かせる余白がありました。

「ここなら、私はもう一度“結果”を出せるかもしれない。」そんな手応えを、私は初めて静かに感じたのです。そしてそれは、崩れかけた自分をもう一度立て直すための、はじまりの感覚でもありました。

Chapter 03

気づいてしまった違和感と決断

経営企画で全体を見渡す視点を得た一方、組織の中で自分の意思を問い直すようになりました。社外活動と人事異動を通じて、他人の正解ではなく自分の選択として起業を決めます。

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経営企画で見えた“全体最適”という視点

経営企画に異動してから、私は初めて「全体を設計する」という感覚に触れました。

これまでの現場や管理職では、目の前の業務をどう最適化するかという視点でしか動けなかったものが、経営企画という立場に変わったことで、会社全体の構造を俯瞰し、流れと課題をつかむことができるようになったのです。

予実管理表を作成しながら、部署ごとの数字を比較・分析し、どこに無駄があり、何がボトルネックになっているのかを洗い出す。そうした業務の中で、私はこれまで積み上げてきた「構造化する力」が組織に活かされていく感覚を得ました。

しかし、どれだけ改善しても、それは「できて当たり前」という空気。感謝されることもなく、評価もされず、まるで“透明な存在”のように扱われていく。その静かな違和感が、少しずつ私の中で大きく育っていきました。

評価されない構造と、“空白になる自分”

会社のために、組織のために、課題を見つけ、整え、仕組みに落とし込む。それは、間違いなく私にできることでしたし、事実、成果も出ていました。

けれど、ふと立ち止まったときに、心の中で問いが生まれます。「自分の意志はどこにあるのだろう?」

気づけば私は、“誰かの期待に応える”という構造の中で、ただ最適化された部品のように働いていたのかもしれません。そして、その構造に順応することが、次第に自分の輪郭を曖昧にしていく。

「これは、本当に私が生きたかった人生だろうか?」その問いは、静かに、けれど確かに、私の中に残り続けていました。

外に見出した可能性と、価値観の違い

その頃、私は「このままではいけない」と、社外に可能性を探し始めます。自分の強みを言語化し、副業につなげていくテーマには興味がありました。

その活動を通じて、私は自分には合わないやり方があることを明確に実感しました。すべての場所や方法が、自分の価値観に合うわけではありません。

再び現場へ戻された“自分不在の人生”

そんな頃、社内で再び人事異動の話が浮上します。私は、静かに「考える」ことが許された経営企画という場所から、再び通信の“現場”という具体的な領域へと戻されることになったのです。

過去の実績が評価された結果ではありましたが、私はそれを心から望んでいたわけではありません。私は“サラリーマンとしての正解”を選び、内心では反発していたにもかかわらず、「はい」と返事をしたのです。

「会社のために」という言葉を自分に言い聞かせながら、本音とは真逆の選択をしたその瞬間、またしても私は――自分を裏切ってしまったのかもしれません。

死の問いと、はじまりの決意

ある日のことでした。会社の重要な局面において、私の名前がそこに「なかった」という事実に直面しました。

誰もが気に留めないような小さな出来事だったかもしれません。根拠も証拠もない、言ってしまえば“気のせい”と片づけられてしまう類のもの。

けれども、全体の構造や空気感、タイミング、文脈――それらが重なったとき、私の中に確かな違和感と、鋭い衝撃が走りました。

「ああ、この場所に、私はもう“いない”のだ。」静かに、けれどはっきりと、私はそう悟ったのです。

そして、そのときこみ上げてきたのは――怒りでも悲しみでもなく、「このままでは死ぬときに後悔する」という確信でした。

私は、この会社に“居場所”がないことを責めたかったわけではありません。むしろ、それまでの人生、自分が「誰かの期待に応えること」に慣れすぎていたことに対して、強烈な悔しさが湧きあがったのです。

思えば、ずっと私は他人の価値観で自分を測ってきたように思います。失敗を恐れ、自分の意志を後回しにし、人の顔色をうかがってきた人生でした。

「もう、これ以上は無理だ。」そう感じた瞬間、私は決意しました。

誰かに与えられた構造の中で生きるのではなく、自分自身の手で“人生の構造”を設計する側に立とう、と。

起業しよう。誰のせいでもない、自分の選択として。ようやく私は、“納得できる人生”を歩む覚悟を持てたのです。

Epilogue

再起動 ― “構造”を自分の手に取り戻す

会社を辞め、自分の足で立つ決意を固めたあと、2024年7月9日に起業しました。現在の活動は、これまでの経験を自分の手でつなぎ直すところから始まっています。

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こうして私は、会社を辞め、自分の足で立つ決意を固めました。

2024年7月9日――私は起業しました。

これは、何かが“始まった”というより、ようやく、自分の人生に「コンティニュー」と言えた瞬間でした。

現在は、WordPress、AI、情報整理、構造的な思考を軸に活動しています。ホームページを作ること。文章を書くこと。価値観を整理すること。教育の仕組みを考えること。創作を残すこと。それらは別々の活動に見えて、私の中では一つにつながっています。

共通しているのは、誰かが自分の考えを取り戻し、自分で判断できる状態を作ることです。

正解を押しつけるのではなく、納得できる選択肢を増やす。複雑なものを、扱える形にする。見えない構造を、見える形にする。そして、その人自身の言葉で前に進めるようにする。

これが、私の仕事であり、これからも続けていきたい活動です。

正解より、納得を。
そのために、私は構造を見つけ、整え、伝わる形にしていきます。

価値観

日々の選択や行動の裏側にある“無意識の構造”を明らかにするために、10の価値観を言語化しています。

01

知識

学び続け、価値ある知識を手に入れることが重要である。

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知識が多いことで、本来得られるはずだったものや、失わずに済んだものに気づけるため、後悔する機会が減ると考えています。また、知識を深めることで、多角的な視点を持ち、感情的・主観的な考え方と客観的な判断をバランスよく使い分けられるようになります。

これにより、他者理解が深まり、知識は自分にとってお金と同等の価値があると感じています。さらに、学び続けることで理性と感情を客観視し、メタ視点を養うことで、様々な場面で柔軟な判断や機転を利かせることができるようになるためです。

02

単純

シンプルな生活を送り、本当に必要なものを見極めることが重要である。

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本質的に必要なものを理解することで、無駄な支出を抑え、感情に流されて衝動買いをすることを防げるようになります。その結果、自分にとって最も大切なものが明確になります。

私はマーケティングを重視する傾向があり、特に便益や価値を考える際に、このようなマインドセットが逆に必要だと感じています。仕事においても、この視点が大切だと考えているためです。

03

孤独

一人の時間を持ち、自分自身と向き合うことが重要である。

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考えるという行為において、深く熟慮するためには一人の時間に内省をしたり着想をする時間は必要であり、それはワークを通じて行うことでもあり、紙とペンで書き出して俯瞰して考えることでもあり、特に何かを仕組化するなどにおいて考えるためには多くの時間が必要となるため、敢えて情報を遮断するという手段を取ることも大切です。

知識を得てそれをどのように使うか作戦を立てることで、深く自分の血肉にもなると感じています。

04

合理

感情に流されず、理性と論理を優先して行動することが大切である。

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私にとっての合理とは、長い目で見て得かどうかで判断することです。短期的には何かを失うとしても、長期でプラスになるなら、その選択を取ります。目先の損得や気分で動くことは好みません。

「もったいないから」という理由では続けません。たとえば、買ったものが使えなかったとき、もったいないからと使い続けても、時間という別のコストが増えるだけです。費用対効果で見て無駄になるなら、やめる判断をします。

行動経済学を学んでから、感情で動きそうになったときに、一度立ち止まって冷静に考える習慣がつきました。そのうえで合理的だと判断できれば、その判断を下します。

05

創造

独創的なアイデアを生み出し、新しいものを創造することが大切である。

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クリエイティブな活動を通じて、新しい価値を生み出すことは、私にとって非常に大切な行為です。創造は深い思考の延長にあり、それがさらに時間の短縮や便利さ、自分を知ること、そして知識のアップデートにつながると考えています。

このプロセスは、学び続けるという価値観とも密接に結びついており、創造はそのサイクルを支える重要な役割を果たしていると感じています。

06

自制

感情や行動をコントロールし、冷静に判断する自制心を持つことが大切である。

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心理学や行動経済学によれば、人は直観的に判断するシステム1では感情に流されやすく、誤った行動を取ることがあります。

例えば、衝動買いや短期的な利益を優先する判断などが挙げられます。これを補うためには、論理的に考えるシステム2を活用し、冷静な判断を下す必要があります。

しかし、システム2を適切に使うには、自分の感情や行動を意識的に制御する「自制心」が不可欠です。この自制心を育むためには、背後にあるロジックを理解し、自分の思考や行動を俯瞰する習慣を身につけることが重要だと考えています。

07

秩序

物事が整理され、秩序ある生活をすることが重要である。

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習慣化することで、考えるためのリソースを節約できるだけでなく、傾向や対策を分析しやすくなり、物事を整理する力が高まると考えています。

整理されている状態は、情報やアイデアを必要なときに迅速に引き出せる「引き出し」として機能し、それ自体が時間短縮につながります。

このように、日々の行動や思考を整理し習慣化することで、効率的かつ効果的に目標達成が可能になると感じています。

08

貢献

自分ができることを通じて、社会や世界に貢献することが大切である。

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思いやりを持ち、相手の立場になって考えることは、結果的に自分のためにもなると考えています。相手の利益を優先して行動することで、その行為が巡り巡って自分に返ってくると信じています。

また、経済を自分も社会の一員として支えることは、社会全体に貢献する重要な役割であり、それが最終的には自分自身の安定にもつながると感じています。

このように、自分ができることを通じて他者や社会に貢献することは、個人の幸福だけでなく、広い視野で見たときに大きな価値を生む行動だと考えています。

09

庇護

弱い立場の人々を支え、守ることが大切である。

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できないことを責めたり、苦手なことを無理に克服させようとすることで優越感を得るような考え方は、自分には馴染まないと考えています。

それとは対照的に、その人の良さを引き出し、弱い部分を補いながら生きやすさを考えることが、自分にとっての使命の一つだと感じています。

これは、身体的な健康や能力だけでなく、何らかのハンデを抱えている人も含め、すべての人が社会で活躍できる未来を実現したいという思いに基づいています。

誰もが自分らしく生きられる環境をつくるための支えとなることを目指しています。

10

協調

他者と協力し、共に何かを成し遂げることが大切である。

詳細を読む

自分一人で物事を考えることも大切ですが、それと同時に他者との協力は非常に重要だと考えています。

一人でできることの限界を知っているからこそ、自分自身を成長させながら、他者にどのように貢献できるか、そしてどのように助け合えるかは、自分にとって重要な課題でありテーマです。

また、特にクリエイティブな作業においては、他者との協力から生まれる化学反応が、より良い成果や新しい価値を生み出すと信じています。

協調は単なる手段ではなく、互いを高め合うプロセスとして、かけがえのないものだと感じています。

関わり方

私が大切にしている3つのリーダーシップ論は、トップに載せています。

自己理解

自分という“構造”を客観的に理解するために受けてきたアセスメントの記録です。

結果を開く

ストレングスファインダー(2回実施)

ストレングスファインダー1回目の結果画像
1回目の結果
ストレングスファインダー2回目の結果画像
2回目の結果
ストレングスファインダーの順位比較
順位1回目の結果2回目の結果
1収集心収集心
2戦略性戦略性
3最上思考活発性
4未来思考着想
5分析思考自我
6適応性分析思考
7内省コミュニケーション
8規律性最上志向
9自己確信内省
10慎重さ共感性

変化の中にも一貫して見られるのは、「思考を深める力」「情報を集めて構造を組む力」「他者の内面に気づき、それを言語に変える力」です。これは、私が行っている「構造を整える・翻訳する・提案する」活動の核そのものであると感じています。

16Personalitiesの自己申告結果

ENFJ-A(主人公型)と記録しています。人の感情や変化への関心、そして物事を論理的に整理して未来へつなぐ志向。「共感」と「構造」の両方に重心を置いて生きているという、私自身が長年感じてきた性質と一致しています。

これから

私はこれからも、WordPress、AI、情報整理、構造的な思考を軸に活動していきます。

正解を押しつけるのではなく、納得できる選択肢を増やす。複雑なものを、扱える形にする。見えない構造を、見える形にする。