3-4-1|お金があれば安心、は本当に正しいのか
お金を持っていると安心します。貯めるほど選択肢が増える。使わなければ減らない。持っていることそのものが安全だという常識があります。
確かに、思い当たるところはあります。ただ、持つことと使うことは、目的が違います。
独立してから、お金がなくジリ貧になった時期がありました。資金があることが安定に繋がると身をもって感じました。ただ、あるとき気づきました。何も使えずに佇んでいると、どんどんお金は減っていきます。使うことの目的から逸脱し、使えなくなります。使えなくなれば増やすこともできません。
安定を求めることと、ジリ貧になっていくことは、表裏一体でした。つまり、目的そのものを見失っていたということです。そこに一つ、見落とされやすい構造があります。
3-4-1|あなたはどちらの立場で聞いていますか
しんお金はあればあるほどいい。選択肢が増えるから。将来のために貯めておくことが一番安心だと思う。



貯めてると、安心しますか。



するよ。あるとないとじゃ全然違う。



何かに使いたいものって、ありますか。



まあ、いざとなれば使うよ。今は貯めておく時期だから。



今日死ぬとしたら、そのお金を何に使いますか。



……それは極端な話じゃないかな。答えられないよ。



私は決めてあります。



……。
ふたつの立場から見てきました。しんの主張にも、あおいの問いにも、それぞれの文脈があります。どちらが正しいかではなく、ふたつが重なったときに何が見えるか。ここで、大金と死の宣告を足し算という形で定義してみます。そこから浮かび上がる答えがあります。
3-4-3|持つことが目的になるとき、お金は不安になる
3-4における部分を数式で表してみます。


お金は持つものではなく、使うことで手段になります。使い道が見えないまま持ち続けると、お金は安心の根拠ではなく、不安の先送りになります。
死の宣告という前提が加わったとき、初めてお金の目的が問われます。その問いに答えられないとしたら、持つことが目的になっていたということです。私はこう呼んでいます。お金は手段という現実と。
3-4-4|使い道を定義している人だけが、お金を手段にできる
老後のために貯める。万が一のために残す。その発想は間違っていません。ただ、何のために使うかを定義しないまま貯め続けると、お金は目的ではなく不安の代替物になります。
使い道が見えている人にとって、お金は手段です。使い道が見えていない人にとって、お金は目的になります。同じ金額でも、持つ人の定義によって、その性質が変わります。
私たちはお金を増やすことに必死になるあまり、何のために増やすかを定義することを後回しにしているのではと、私は疑問に感じることがあります。
3-4-5|お金は手段という現実と定義した回答についてお伺いします
今日死ぬとして、手持ちのお金を何に使うか、すぐに答えられますか。
足し算|常識破りのクリティカル・シンキング
この視点に至るために、どんな前提や知識を積み重ねてきたのかはこちら






