3-5|正しいことをしているはずなのに、 なぜ正論は時として無力化するのか?

あおい|疑問による構造を主張する

※本シリーズには、価値観や思考の前提を意図的に問い直す内容が含まれます。読み進める中で、違和感や引っかかりを覚える箇所があるかもしれません。その場合は、無理に読み進める必要はありません。コンテンツにおける意図についてはまとめ記事をご覧ください。

目次

3-5-1|正しいことを言えば伝わる、は本当に正しいのか

正しいことを言えば、伝わるはずだという常識があります。論理が通っていれば相手は納得する。感情的になる方がおかしい。正論に反論できないなら受け入れるべきだという前提があります。

確かに、思い当たるところはあります。ただ、正しさが伝わるかどうかは、正しさの中身より、誰がどの立場でそれを受け取るかで変わります。

通信業界で20年ほど働き、管理職を担っていました。いくら正論を言っても相手にされないことがありました。ホワイトだけでは通じない場面も多々ありました。迎合しなければ通らない案件、許されない出来事、上司からの締めつけ、部下からの突き上げ。自己犠牲をすることもあれば、苦汁を飲まされたこともあります。部下を持ったことがある人なら、理解できるはずです。

正義は一つではありません。そこに一つ、見落とされやすい構造があります。

3-5-2|あなたはどちらの立場で聞いていますか

しん

正しいことを言っているのに伝わらない。論理は通っている。感情的になっているのは相手の方だ。正論が通じない相手とは話にならない。

あおい

その人と、今どうなっていますか。

しん

距離ができたよ。でも、間違ったことは言ってないから。

あおい

その正論で、何か変わりましたか。

しん

……変わってないけど、それは相手の問題だよ。

あおい

もし、しんさんの守りたい人が、その正論で断罪されたとき、しんさんはその正論を正しいと言えますか。

しん

……それは、話が違う。

あおい

私も、答えが出ないんです。

しん

……。

ふたつの立場から見てきました。しんの主張にも、あおいの問いにも、それぞれの文脈があります。どちらが正しいかではなく、ふたつが重なったときに何が見えるか。ここで、誰かの正義と誰かの正義を足し算という形で定義してみます。そこから浮かび上がる答えがあります。

3-5-3|正義が衝突するとき、どちらも間違っていない

3-5における部分を数式で表してみます。

誰かの正義と誰かの正義を足すと必要悪というバッファになることを示した書道スタイルの数式画像
ふたつの正義が衝突するとき、どちらも正しい。白黒だけでは運用できない現実がある。

正義は一つではありません。ふたつの正義が衝突したとき、どちらも正しい。どちらも間違っていない。

わかりやすい例で言うなら、二次創作がそれに当たるのではないでしょうか。何かのキャラクターで新たな創作をした場合、法律的にはグレーとされることがあります。ただ、黙認される場合もあります。相手にとっても宣伝になるなどの利得が発生する場合があるからです。それをすべて正論だからルールだからと縛り続けると、クリエイティブは生まれなくなります。オマージュもその例です。

その間に存在するのが必要悪というバッファです。白黒だけでは運用できない現実があります。私はこう呼んでいます。必要悪というバッファと。

3-5-4|正論が届かないとき、問題は正論の中身ではない

職場での意見の対立。家族との価値観のズレ。社会的な議論。どこにでも、ふたつの正義が存在します。

どちらが正しいかを決めようとすると、必ずどちらかが否定されます。ただ、どちらも正義である以上、否定した側も別の文脈では否定される可能性があります。

正論を持つことと、正論が届くことは、別の話です。

私たちは正しさを証明することに必死になるあまり、相手の正義が立っている場所を見ることを忘れているのではと、私は疑問に感じることがあります。

3-5-5|必要悪というバッファと定義した回答についてお伺いします

もし、あなたの守りたい人が、誰かの正義に断罪されたとき、あなたはその正義を正しいと言えますか。


足し算|常識破りのクリティカル・シンキング
この視点に至るために、どんな前提や知識を積み重ねてきたのかはこちら

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