ここまで、反芻、期待、承認、嫉妬、孤独、恋愛、所有、老い── いくつもの「生きづらさ」を、構造として整理してきました。
多くの人は、この段階で「理解できた」「だいぶ楽になった」と感じるはずです。
それでも、どこかに言葉にしづらい「違和感」が残ることがあります。 何かが足りない、というより、何かを“見すぎている”ような感覚。
欲求の仕組みは理解した。不安の正体も分解できた。 それなのに、完全には終わらない。
ここで新しい答えを足すことは、しません。 この章で行うのは、説明でも結論でもなく、**「立ち位置の確認」**だけです。
世界を理解しようとするとき、人はいつの間にか、「上から見よう」としてしまいます。
でも、少し下がった場所から眺めると、 それまで“問題”に見えていたものが、ただの「像」として見えることがあります。
この章は、何かを解決するためのものではありません。 ここまで積み上げてきたものを、一度、「展示室」に置いて眺めるための場所です。
【結論】なぜ、すべてを理解しても「違和感」が残るのか?(構造の定義)

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まとめ
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なぜ、人は人生の途中で迷ってしまうのだろう?
それは、人生の迷路には“あらかじめ出口が用意されていない”からです。
実際の迷路なら、「右手法(みぎてほう)」という方法があります。
右の壁に手を添えて歩き続けるだけで、いつか必ず出口にたどり着くというものです。
けれど、人生の迷路にはその壁もゴールもない。
自分で「どこを出口とするか」を定義し、
その選択に“納得”できたとき、初めて迷いは止まる。
定義は理性の構造、納得は感情の構造。
この二つが重なった瞬間に、人生は方向を持ちはじめるのです。
目的の構造について考える
構造に気づいてしまったあなたへ
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